戦争と人的交流
2026/08/27
戦争と人的交流
本石産業です
きょうも屋根にのぼります
中世欧州のペストや20世紀のインフルエンザ、インカ文明の壊滅の一因となった天然痘も、戦争によって外国の兵士がもたらした、と
人口が減ったり(その後のベビーブームで)増えたり、戦時経済で底上げされた景気が終戦とともに急激にしぼんだり
戦争は生活環境に急激かつ甚大な負荷と影響をあたえます
弊社の創業も戦争に影響されているようです それは第一次世界大戦です
戦勝国となった日本には捕虜となったドイツ人が多数収容されることとなりました、彼らは帰国を待って収容所生活を送ることになります
交響曲第九の日本国内での初演はこうした収容ドイツ人がつとめており、いまでも続く神戸の著名な洋菓子屋さんのルーツについてもこのケースとして知られています
九州に収容されたドイツ人(兵士だったのか?技師だったのか?ドイツの工業力は世界を席巻、戦勝国となった日本にしてみれば最先端技術を安価に手に入れる好機だった)の中にもセメントの2次製品製造について高度な知見をもったものがいたようで
これを日本国内の民生産業に移植していった枝葉の先に、弊社の創業があります 弊社創業は大正15年(1926年)、100年前になります
いまでは工事専業の弊社は、じつは厚型プレスセメント製造からはじまっています
大河 筑後川の豊富で良質な川砂と筑豊地区から産出される石灰由来のセメントを結びつけたのが1914年、欧州発の戦争になります セルビアでオーストリアの皇太子が暗殺されなかったら、私はこの夏の屋根に上らなくてよかったわけです
写真は昨日現場からおろしたセメント瓦です 60年以上前のもの?と思います 屋根材としての本来の機能は十分に果たしていました(だいたい瓦より屋根の木部から劣化が始まるものです) 赤い色は酸化鉄、いわゆる「ベンガラ」を顔料としてセメントに混ぜたものです
ベンガラも朝鮮産のものが多かったと聞いています 技術も原料も、当時から世界とつながっています
このタイプのセメント瓦は平成3年のあの台風でも飛散が少なかった(釘止めもされてなかった!にもかかわらずです 先代社長は、瓦の裏にある突起の位置が今の屋根材とことなっており、これが理由で飛散をとどめたに違いない、と持論を述べています どうなんだろう?)
遠くドイツからやってきた兵隊さんの望郷の念が練り込まれて、あさくらの屋根を長年守ってきたこの瓦は、この後くだかれて路盤材となり、朝倉の車道に姿をかえます
セルビアの青年の名前は彼の大望を遂げて歴史に記録されているけれど、九州の若者にセメント瓦の製造と品質管理を伝えたドイツ人の名前は、瓦を裏返しても見つけることができません
どんな余生を過ごしたのかな、やはりこの30年後に、家族とともに戦禍にあったんだろうか
雨漏り、地震、台風などなど、お住いの屋根について心配事ございましたらお気軽にお問合せください
有限会社 本石産業
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